本当にHelsinki Lambda Clubを聴かずに死ねるのか?

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2018年が終わってしまった。

思えば音楽を追い始めたのは2018年からだし、そういう意味では色々あった年だな〜〜と。

こうやってブログなるものを始めたのはごく最近の話。2019年はもっと本格的にやりたい。そして、学ぶべき事ももっと多くなってくるだろうな。あ、あけましておめでとうございます。

新年1発目。元日から元気に部屋に引きこもってる次第ですが、ここに紹介したいバンドが1つ。今日はその話。

 

最近、音楽の良さって何だろうか、と度々考える。

自分にとって、個人的に、音楽の良さは曲の良さだ。当然の事かも知れないけど、これが当然じゃなかったりする。だってさ、2018年1番聴かれたアーティストが韓国のBTSで、レコード大賞乃木坂46だぜ?別に良いんだけどさ、俺なんか捻くれた奴は「あんなの音楽と呼んでいいのかよ」と思っちゃうわけなんです。画面の中の白石麻衣は泣いてるように見えたけど、俺も泣いてたよ。色んな意味でな。

この国が音楽を音楽として捉えられないのはもう仕方ないのかもしれないけど、それでもちゃんとバンドやってて作る曲がマジでヤベエってバンドに売れてほしいし、売れた根拠も曲のヤバさであってほしいと思う。

 

そういうヤベエ曲作ってるバンドがあるんすよ。

 

Helsinki Lambda Clubっていうんですけど。ヘルシンキラムダクラブって読みます。


Helsinki Lambda Club − 目と目 (official video)

 

「うっわ、このバンドやべえよ…」と深夜に新しいバンド見つけて小躍りなんかしてるわけですが、そういうバンドに共通してるところは3つくらいあって。メロディがやたら良いボーカルの声が心地良い歌詞が軽くない。この3つの内、2つ満たせば「あぁ、良いバンドだなぁ」って思うわけですが、3つ全部満たされちゃう日には「あァァァァァァァァンンンン??なんでこれ売れてないノォ??」って半ばキレ気味にiPhoneをベッドに放り投げてます。

「目と目」を聴いた時、そうなったよ。「うわ、マジか」って素で声が漏れた。本当に良い。2018年色んな曲聴いたけど、トップ3には入る曲だってこれ。曲自体は2018年に出たわけじゃないけど。正直言って「目と目」聴いて、心動かない人には話なんてないよ。もうお前なんか知らん。出ていけ。バイト先のたいして仲良くない先輩とホームパーティでもしてろやクソ。

おっと、話が逸れた。

今日は素晴らしいバンド「Helsinki Lambda Club」を、挙げた3要素に当てはめながら、じっくり掘り下げたい。

 

・メロディがやたら良い

やたら良い。そう、やたら良い。ヘルシンキ最大の魅力。このバンドは歌を中心としてるんだけど、この歌メロが本当に素晴らしい。

中毒性がある。なんてよく耳にする文句だったりするわけです。でもな、そんなのヘルシンキの前じゃあ通用しねえよ。中毒性じゃあ済まされねえよ旦那。マジで。どの曲にも思わず口ずさんじゃうようなメロディをぶち込んでくる。気付けば歌ってる。そんな病に侵される。毒。そう、猛毒です。

でも曲を聴く上でこんな大切なことはないですよ。「朝聴いたあの曲がずっと頭の中でグルグルグルグルグルグル」そんな曲ばっか。ヘルシンキ。もう全部それ。俺なんか夢の中でも歌ってたからな。ヘルシンキの曲。勘弁してくれホント。

あと、しつこくないんですよね。ヘルシンキのメロディ。しつこくない。

例え話をすると、DA PUMPの「U.S.A.」のサビってしつこいですよね。しつこいって繰り返しが多くて鬱陶しいって意味じゃなくて、なんて言うんでしょう。胃もたれするって言うの?なんか脂っこい。ギットギト。

だからこそ、口ずさめる。しつこいから覚えやすい。そういう側面もあって。飽きやすい曲は覚えやすい。もうそこはコインの裏表みたいな話だなーなんて。

でもね、ヘルシンキにはその概念通用しない。頭に残るのに明日も明後日もずっと聴いてしまう。メロディの次元を平気で超える。時空を曲げる。コインの表の裏は表。何言ってんだオイ。


Helsinki Lambda Club – PIZZASHAKE(Official Video)

この「PIZZASHAKE」っ曲。まさにヘルシンキって曲で。本当にメロディが良い。徹頭徹尾良い。

是非聴いてくれ。頼む。マジ頼む。

あと1つ言っておきたい事があって。ヘルシンキの曲の中には最後の最後に1番ヤバイ殺人メロディーを仕込んでくる事がある。Cメロがサビより良いパターン。普通にある。だから最後まで聴かないと良さが分からないこともある。是非、最後まで味わってほしい。

 

・ボーカルの声が心地良い

危うい声ってあるじゃないですか。ほら、椎名林檎とか。細い糸が千切れそうな声。なんというか、聴いてるこっちがドキドキする声。ヘルシンキのボーカル橋本薫にもそんな側面がある。ヘルシンキの持つどことなく曲全体を覆う切なさはそういった橋本薫の危うい声が生み出しているのではないか。そんな気もする。

むちゃくちゃ歌が上手いわけじゃないし、独特な声質かと言われればそうじゃないと思うんだけど、それでも何故か魅力を感じてしまう。

謎めいた感じもするんですよね。ホント不思議な声です。

 

・歌詞が軽くない

軽くない。そう、軽くない。逆に軽い歌詞ってなんでしょうね。でもね「あ〜〜この歌詞の言いたいことわかるけどなんて言えば良いか分からない〜〜」みたいなのがヤバ歌詞に対する正しいアクションだと思うんですよ。

だって、なんて言えば良いか分からない感情ってメロディという手助けをしてもらって、歌にして、初めてなんとか形にできるようなもんでしょう。

俺はそういった心の機微を感じられる歌詞が好き。

そこで「lipstick」という曲の歌詞を紹介します。

目配せして 帰った道 祭りの後 国道沿い

湿った指 草の匂い 今になって 蘇って

切れたボタンは ほっといて 語った夢 忘れたフリ

言葉の意味 隠した嘘 夜が近い

このCメロ。最高すぎる。切なすぎて死人でるんじゃないのか。いい加減にしてくれ。

「lipstick」という曲はうまくいかないカップルの話なんだけど、この歌詞はズルい。あまり具体性はないんだけど、どういうシーンなのかが詳細に浮かび上がる。

そしてCメロの後、サビがあるんだけど

髪を切っていたんだな 気付いていなかったな

というフレーズで終わる。もはやこの一節だけでカップルがどんな状況にあるのかさえ分かってしまう。分かってしまうんだよ。

もうヘルシンキの歌詞が好きすぎるのでいくつか紹介させていただく。

「彷徨いSummer Ends」

あのベンチはもう無い

いつかの君と目が合った

「Jokebox」

握った手以外忘れて

戻れなくなるから

「目と目」

あぁ いつも思ってもない事なら簡単に言えたのになあ

あぁ いつも悪い予感なら簡単に信じたのになあ

あぁ いつも思ってもない事なら簡単に言えたのになあ

笑った顔がよく似合う ただそれだけを伝えられたらなあ

良すぎる。良すぎるな。もう別に俺がグダグダいう必要性も感じない。

 

本当に最高なバンドだ。最高なんだけど、これほどまでに世間に浸透してないのは何か理由があるんじゃないか?という考えも浮かんだ。

考えられる事としては1つ。MVがヒドイ。


Helsinki Lambda Club − Skin (official video)

普段からYouTubeで音楽を漁ってる人にとっては、このMVはなかなかにキツイ。本人達の意図は分からないけど、これじゃあサムネだけで聴かれてない可能性も往々にしてあるよな。とか思う。曲は本当に素晴らしいのにね。「Skin」も名曲だよ。

やはり、このバンド。時代性を無視しすぎている。それが良さなんだけどね、無視していないとあんな曲作れない。そう、そう分かっているんだけども、やはり時代に合わせなきゃ売れない部分もあると思う。再生される事に重きを置けば、MVがもしかしたら肝心の曲よりも重要かもしれないこんなご時世だ。MVぐらいテキトーでいいからちゃんと作ってくれ。言ってる事めちゃくちゃだな俺。

でも最近は割としっかりしてきた。良い意味で普通になってきた。別にMVなんてどうでも良いからさ、ちゃんと時代に合わせて、無視するとこは無視して、エグい曲作っていってほしい。そう思うよホントに。

本当に良い曲作るバンドなんですよ。多分、刺さらない人には刺さらない。けど刺さる人には強烈に刺さる。そんなバンドだと思うんです。だから、その出会いを見逃してほしくない。そんな気持ちがあります。そういった動機で書いてます。はい、書いてます。

また、こうやってちゃんとスゴイ曲を作ってくれるバンドを残していく為にも声を上げていく必要がある。ブログやってんのもそういう側面あるし。好きなものがある人はちゃんと好きと言わなきゃダメだと思う。たとえ、何かを貶す事になっても。

 

最新アルバムの「引っ越し」という曲。

最後にこれでも聴いて、Helsinki Lambda Clubの紹介を終わりにしたい。


Helsinki Lambda Club – 引っ越し(Official Video)

 

 

King gnuというバンドは日本の音楽界を本当に変えるかもしれない

 

タイトルに迷った。

 

最初は「2019年、King gnuが売れなかったら消しゴム1キロ食う」というタイトルだった。

個人的には気に入っていたが、本質とズレるなという事でやめた。こんなタイトルにしようとしたせいで「消しゴム 消化」で検索する羽目になった。悲しかったよ。少なくとも年末にする事ではない。

Yahoo!知恵袋が引っかかった。案の定過ぎる。

「消しゴムは食べられますか?」という質問に「鉛筆文字は消化できても、胃は消化出来ないかもしれません」って回答してた。

どっちも頭がおかしい。回答者は上手いこと言おうとしてんじゃねえよボケ。鉛筆文字ってなんだよ。

 

そんな事はどうでも良い。マジでどうでも良い。

 

King gnuというバンドをご存知だろうか。

King Gnu - It's a small world - YouTube

 

もう聴いたら分かると思うが、カッコいい。とにかくセンス全開。脳汁が出るわ出るわ。ハンバークかよ本当。

そもそも曲に関して、別にもうなんか言う必要もない。というか、言語化がとても難しい。

ビジュアルから生み出すhip-popな質感を保ちながらも、ノスタルジックなメロディは古き良きJ-POP的であり、ロックな雰囲気も醸し出すとても現代的なアプローチのミクスチャーロック…と書いたところで吐き気がしてきた。こんな陳腐でカスみたいな文章読むぐらいならもう実際に聴いた方が良い。マジで聴け。タワレコに走れ。

とにかくカッコいいので聴いてほしい。変に言語化して受け手の想像の幅を狭めたくないとすら思う。このバンドの曲に関して言及する事は、ちょっと自分の文章では出来ない。

 

そもそも、曲の話がしたいわけではない。

カッコいいバンドなら、意外とある。世間は気付いてないかも知れないけれど。

ただ、King gnuはカッコいいだけではない。それ以外の部分を出来れば掘り下げたい。

 

この世界で、この日本で。売れるという事はどういう事なのか。有吉弘行の名言を引用したい。

ブレイクするってのはバカに見つかるってこと

その通りだと思う。音楽で売れるというのは音楽が好きじゃない人に好まれるという事。見事な皮肉だ。

 

誤解を恐れずに言うと、日本人は本当に音楽センスがない。流行ってる音楽がクソって言いたいわけじゃなくて、自分で音楽を取捨選択する能力が著しく欠けているのだ。

音楽だけではない、映画や本、ドラマ、アニメ、芸人。なんだってそうだ。この国は「なんとなく流行ってる感」に支配されている。かく言う自分も、自分で好きなコンテンツを選んでいるか、と問われれば答えに悩む。

こういった事の原因として業界の不親切が挙げられる。売れそうなものばかり表に出して、消費させて。本当に良いものを選別していく機会を与えていない、と。

仕方ない。

みんな精一杯なんだと思う。音楽業界なんて尚更だ。今はアイドル文化がなんとか首の皮一枚繋ぎ止めているような状態だが、そのアイドル文化だって音楽性が評価されて売り上げに繋がっているわけではない。あれはもう半分宗教みたいなもんだ。でも、それで助かってる事実もある。どちらにせよ、本当の意味での音楽は死にかけている。リスナーの音楽センスを育てる余裕なんてとっくの昔からないのだ。

 

King gnuに話を戻したい。

プロジェクトリーダーであるギターの常田大希は本当に頭が良い。彼は東京藝大出身だが、入学理由は「藝大のブランドが欲しかっただけ」だと言う。必死に勉強して地方の中途半端な私大に通う俺にまず謝ってほしい。しかも、彼は藝大を途中で辞めている。俺も普通に辞めるぞオイ。

彼は「PERIMETRON」というアーティスト軍団も主宰している。King gnuのMVやアートワークは全てここが担当している。このチームがKing gnuの世界観の創出に一役どころか五役くらい買っている。買いまくっている。ロゴなんかマジでイかしてる。

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King gnuの強さはここにある。

 

残念な事に、バンドは曲がカッコいいだけでは売れない。むしろ音楽はオマケだ、なんて風潮すら感じる程だ。

音楽以外の、例えばボーカルの顔だとか歌詞がメンヘラだとかTwitterが面白いとか。そういう時代に即したアピールポイントがどうしても必要になる。

だからこそ、メジャーレーベルは存在する。

レーベルは売れそうなバンドを改造する。こうやったら売れますよーとか、目立ちますよーとか。今風に言うとバズりやすくさせてくれる。

当然だ。音楽なんか聴かれなきゃ意味ない。聴かれる為に目立たせるのはとても合理的だ。

しかし、そんなうまくいくはずもない。バズらせる為のMVだけが話題先行してしまってバンドのイメージを固定させてしまったり、あれよこれよと工夫していく内にバンドは迷走し、本来の音楽性のヤバさに食いついていたファンまでも呆れさせてしまう。そんな現象は少なくないはずだ。

本当は音楽性だけで評価してほしいと、音楽に携わる人間なら誰だってそう思ってるはずだ。そう願いたい。

「でも、曲が良いだけじゃ世間は見てくれないし、いやでも、そもそもそんな世間にしたのは自分達なのか…?」と彼らは無限のスパイラルに陥ってるに違いない。この問題は極めて根深い。

 

話が逸れた。

King gnuというバンドは、そういったマーケティングの面でレーベルに頼る必要がない。

全て自分達で出来るからだ。実際、米津玄師もMVを自作していた時期もあったし、アルバムのジャケットやアートワークは今でも自分で手がけている。

King gnuはPERIMETRONの存在によって、MVだってレーベルの手を借りずともクオリティの高いものに仕上げられる。結局、全ては常田大希のセンス勝負になる。悪い面も勿論あるが、ブレる心配が少ないのでバンドとしての芯が通っているという意味では大きな強みだ。

Twitterなんかも無駄に頑張らなくていい。元々の音楽性も手伝ってか、逆にクールを演出する結果になっている。まぁボーカルの井口理はめちゃくちゃうるさいが、あれは常田大希曰く「バランス」らしい。

 

King gnuを人間単位で捉えた話をすると、バンドとしての強さも浮かび上がる。まさに売れるべき人間が揃っている。

ギターボーカルの常田大希はもはや言うまでもないが、人間的魅力が尋常ではない。放つオーラが独特で、ステージ上で絵になる。全く隙がない人間だ。無口だったり、変に不器用な面があったりするのも、やはりギャップ萌えという人気が出るかもしれない。本人は望まないかもしれないが、そういった話題性も回り回ってプラスになる事もある。

キーボードボーカルの井口理も大概だ。基本ふざけている。MCも全然関係ない話ばっかだ。この前フェスで見た時は「人気ラーメン屋のサイン、ゴスペラーズで5人分埋めるのは効率悪い」って話してた。ここまで関係ない話できるのはもはや才能だろ。

ドラムもヤバイ。名前がヤバイ。「勢喜遊」と書いてセキユウと読む。なんだそれ。勢いよく喜んで遊ぶってドアホ。良かったなバンドマンで。名前が就職に向いてなさすぎる。

ベースの新井和輝はマトモかもしれない。よく知らんが。多分一番マトモ。じゃないと困る。マトモであってくれ。頼む。でもこういう人ほど売れると人気が出る。というか今の時点でもファンが意外と多いイメージ。

 

売れる。売れるべき人間が揃っている。2回目だな言うの。バンドが売れる為に必要なのが人間性だとしたら、こんなに魅力的なバンドは中々ない。ステージ上の姿は本当に人を惹きつける。驚異的なファン回収率も、まさにこのパフォーマーとしての素質の上に成り立っている。

と、まぁ色々書いてて、自分がただのファンである事を思い出した。そうだった。自分はただのファンだ。このバンドが売れてほしいだけの。

 

話を続ける。

そして、このKing gnu最大の強みは「カッコいい」と「ダサい」という相反するダブルスタンダードを実現させるバランス感覚だ。

「ダサい」とは言い換えれば「親しみやすい」ともとれる。

この国で売れるには「ダサい」というのは意外にも重要だったりする。そうでなければAKBグループやDA PUMPの人気は説明がつかない。

これらのグループに共通するのは「ダサい」という名の「親しみやすさ」だ。老若男女に支持されるにはこういった安心感というものは絶対的に必要だ。

そしてこの「親しみやすさ」はKing gnuの持つ「カッコよさ」とは相反している部分ではないだろうか。

しかし、彼らはそれを理解している。

常田大希は自分の持つ音楽的素養の深さを活かし、ターゲットを広く、広く設定している。

彼らの楽曲には、パッと見はかなり尖ったストリートを感じるサウンドの中にも口ずさめるような歌メロを取り入れているものもあり、J-POPの基本に立ち返った曲も多い。

「Prayer X」なんかはまさにそれに当たる。この曲は発表後に本人が「ディスってほしいぐらい」と話してたので、彼らからすればかなり「親しみやすさ」に寄せたつもりだったのだろう。実際、この曲のファンは多い。

そういった楽曲を取り入れていく事によって、本来であれば自分達を敬遠していたであろう層までも巻き込むつもりだ。

来年1/16発表のアルバム「Sympa」から「The hole」を聴いたが、その瞬間「あ、本気で売れるつもりだ」と思った。聴けばわかる。これは圧倒的に多くの人間に刺さるように作ってるな、と。まさにアングラ感とメジャー感という、本来なら相容れない感覚の融合だ。

全ては多くの人に認知される為だ。有名になれば成せる事も大きくなる。King gnuは常田という男の大いなる第一歩だ。

 

このバンドが売れれば日本はどうなるか。それは正直分からない。音楽界は変わらない可能性の方が高いだろう。

しかし、このプロジェクトの頂点に立つ男、常田大希がこのような音楽界に疑問を呈し、ぶち壊す野望を持っている事は事実だ。

 

間違いなく応援する価値のあるバンドだ。どうでしょう。彼らを応援してみる気になったでしょうか。いや、ならなくてもいいから知っておいてほしい。ファンとして言えるのはそれぐらいだ。

来年1月にメジャー1発目のアルバムが出る。一聴してみるのは如何だろうか。どうせ売れるんだから、世の中の人よりちょっと前に知って、周りに良い顔するのも悪くないんじゃないですか。

 

King gnuには大きな希望がある。

そう、常田「大希」だけにね。

 

よし、上手いこと言えたので寝ますね。

 

助けて!星野源のアルバム「POP VIRUS」が良すぎる

 

助けてほしい。

 

聴きましたか。

「POP VIRUS」

一曲目どうなってんのこれ。

無音の使い方が上手すぎる。静かなギターから入って、無音と星野源の囁くような声の連続。そこにキックとコーラスが来たと思ったら、いきなり現れる切り裂くようなシンセの音。本当、心臓が止まるかと思った。無音、シンセ、キック、星野、ギター、無音、割れる音、シンセとたっぷり緩急かけたところにお得意にストリングス。半端ない。完璧。

ビャーー!ってシンセの音が怖い。緊迫感のある音なのに何故かポップに馴染む。すごい。バランス感覚どうなってる。おい、どうなってる。あのシンセの音と優しい星野の歌声で揺さぶられ続けると死にかける。

そもそもこのアルバムに捨て曲がない。全部名曲。よく聞く文句だ。「捨て曲ナシ!!」こんな文言死ぬほど見てきた。その度にうんざりしたきた。今回も是非うんざりしてほしい。そしてうんざりした自分を後悔してほしい。本当に全曲良いから。保証書書くよ。

アルバムを通してミドルテンポの曲が多い。なのに、飽きない。退屈をさせない。聴ける。それは星野源の持つメロディセンスの強さもあるのかもしれないけど、やはり流れ込む音の新しさとか珍しさによるものが大きいと思う。少なくとも、手抜きで作ってると感じる曲はない。完成度がどの曲もべらぼうに高い。隙がないのだ、とことん。

自分は洋楽をあまり聴く方じゃないけど、源流はブラックミュージックに近いものがある。その中でもどの曲も総じて心地良いし、ポップ。洋楽という広いジャンルの中から日本人としての強みを活かせそうな要素を選びとって、再構築したような感覚。

 

星野源。とんでもない才能だと思う。

この人の声は不思議なものだと、近頃思う。元々星野源の楽曲にはどことなく影を感じずにはいられなかった。ポップなアーティストなのに聴くと、何故か感情的になってしまうような時もあって。なんか楽しくなさそう?って言ったらあれだけど、無理してる?って感じて。

気づいたけど、この人の声、暗い。

曲とか歌詞は基本明るいのに、声質というか、声の成分がかなりブラック。本質的に暗いのだ。

なんかすごい悪い意味に聞こえそうだけど、これこそが魅力じゃないかなって思います。この人じゃないとアイデアみたいな曲歌えないよ多分。

この人の歌詞ってパッと見たら明るいんだけど、ちょっとしたフレーズとかから怒りとか悲しみみたいなマイナスな感情を節々に感じとる事がある。それが怖い。曲が明るいのが逆に怖い。

陰と陽を兼ね備えた人って結構いると思うんだけど、星野源は本当に極端。あるじゃないですか、みんなから人気者で勉強もスポーツもできるヤツなのに何故か一人の時間があって、その隙間にものすごい闇を感じて勝手にゾッとする経験。ないですか?俺あるけど、ないの?

そういう圧倒的ポップに隠された巨大な闇をこの人からは感じて。だから、これはただのポップではないなと思うわけです。光だとか闇だとか、暗いとか明るいとか、そういう二元論では簡単に語れないような。複雑でグッチャグチャの感情が存在してる。そういう人間の面倒な部分をこうやって表現できるのはただただ凄い。凄いし、羨ましい。

聴いてると、なんか悲しかったり、辛かったりしてくるのに何故か心地良くて、なんか頑張ろうって思えるんです。ずっと聴いてるマジで。リアルポップウイルスなんすわ。誰だよアルバム名付けたヤツ天才だなお前は。

 

素晴らしいアルバムです。多分、一生寄り添っていくアルバムなんだなと思います。

 

聴いてほしい。アルバム貸すよ。

 

以上です。

 

 

Mr.childrenを聴くという事 【12/16 マリンメッセ公演 感想 セトリ】

感動した。
Mr.chilrenのライブに行った。普通に感動した。当然か。10歳の時からずーっと好きだったアーティストの初めてのライブだ。感動しないわけがない。泣かなかった。けど、所々で涙目になる場面はあった。そうもんだろう。

本来であれば「ミスタルのライブ良かった!」で済む話。しかし、そんなものはTwitterで充分だ。褒め称えるだけなら140字で事足りる。わざわざこうやってブログなるものを書いているのだ。褒めるだけでやっているわけではない。そもそも、褒めてばっかりの人間の意見なんかクソ同然だ。喋らないほうがいい。好きと言う感情は嫌いという感情があって初めて生まれるものだ。感情とはそういうものだと思っている。

話が逸れていく。言いたいことはそうじゃない。今回初めてミスチルのライブに参加して、自分の中で色々と考える部分があった。それを多少なりともまとめて書ければいいと思った。

参加者の多くは大人だった。学生の比率は少なかったと思う。男女比は…多分、ちょっと女性が多かった気がした。改めてこのバンドが昔からの根強いファンに支えられているのだと認識した。

常日頃から社会を支える。真面目な人達。そういった人の心の拠り所であったのがMr.childrenだ。

みんなで一斉にサビで手を挙げる。自分はこういった一連の集団行動が嫌いだ。嫌いというより苦手だ。なんというか一種の宗教染みた怖さを感じるからかもしれないし、単に行き過ぎた自意識とプライドが邪魔してるからかもしれない。納得がいってなかったのだ。しかし、このライブでは手を挙げてしまった。そこに抵抗はあんまりなかったと思う。むしろ楽しかった。大いに楽しんだ自分がいた。

最近、色んな情報が行き来する。音楽というものの向き合い方に関して非常に捻くれた感情を持っていた。そんな自分に嫌気が差した。恥ずかしく思った。

しかし、まぁこういったスタンディング至上主義のようなものに対しての嫌悪感は拭えたわけじゃない。いつか深く掘り下げて書きたいと思う。しかし、ことミスチルに関してはそういった感情はなかった。少なくとも。

そういえば内容の話を全然していなかった。セトリ順に感想を述べても味気ないが、他に方法もないので一応曲順に書いていく。

1.SINGLES
面食らった。好きな曲だが、これが初っ端に来るとは。Aメロカッコいいよね。
2.Monster
これやんのかよ。案外盛り上がった。
3.himawari
代表曲ですね。ギターソロがたまんねえ。
4.幻聴
うん、まぁ好き。
5.HANABI
名刺代わりですね完全に。
6.NOT FOUND
最高だった。
7.忘れ得ぬ人
トイレに行きたくなってきてしまった。
8.花 -Memonto-mori-
演出が凝ってた。これは本当にカッコ良かった。曲も好き。
9.addiction
最初はなんだこれって曲だったけど、ライブで聴くと化けるね。
10.Dance Dance Dance
超楽しい。なんだこれ。
11.ハル
なんでこれやったのかちょっとわかんない。トイレに行きました。
12.and I love you
うーん、特にライブで聴く感動はなかったかも。
13.しるし
極上のバラード。クドイ曲だと思う。けど、感情は揺さぶられてしまった。
14.海にて、心は裸になりたがる
サビ最後の「おーおーおー!」の回数が分かんなくて戸惑ってしまった。もっとちゃんと聴いとけば良かったのか?
15.擬態
あー、まあうん。
16.Worlds end
大好き。イントロで「うお、まじか」と声が漏れた。これやるのは反則だな。
17.皮膚呼吸
直前のMCが感動した。というのも斜め前のおじさんが泣いていたので、それに感動してしまった。
18.here comes my love
ここからアンコール。曲が最高なので当然最高。
19.風と星とメビウスの輪
予想外。ラスサビ「愛されて優しくなれて〜」の歌詞が生で聴くと、より響いた。
20.秋がくれた切符
良い曲だと思う。やりたいようにこういう曲をもっと作ってほしいね。
21.Your song
うん、まぁくるよね。曲自体は微妙なんだけど、そこに込められたメッセージ性とか含めて感動した。


面白くない。こんな感想あるか。自分で書いていて何を書いているのだろうと思った。こんなん書く必要あったのか。ライブの感想というのはいつも困る。もっとやり方を考えなきゃダメだ。


長くなったが、ここからが本題。

最近、自分の同世代の多くはミスチルを正しく認知できていないと感じる。かく言う自分も、きっと認知できてない部分もあるのだろう。

世間にとって、ミスチルとは「タイアップの鬼」だ。普通に暮らしていれば、嫌でも聴く事になる。映画主題歌、ドラマ主題歌、CM曲。必ずミスチルはメディアの何処かに存在している。

そんなバンドを世間はどう認知しているのだろう。はっきり言うと、自分の周り。つまり20歳前後の人間はミスチルをダサいと感じている。

タイアップの多さからか、世間への露出数も多い。そこからダサいという印象に繋がってるのだろうか。少なくとも、アングラ感を好む hip-hop勢やインディーズバンド勢はダサいという印象を持っているはずだ。

これもいつか掘り下げて書きたい事項だが、ダサいというのは決して負の感情ではない。ダサいとは言い換えれば親しみやすいとも言えると思う。

自分はいつも世間に対して「常にカッコいい音楽を求めている」という前提があると思い込んでいた。でも、実際そうではないんだと思う。

世間は決してカッコいいものを求めているとは限らないし、ダサいものを拒絶するとも限らない。そうじゃないとDA PUMPのUSAやAKB48が流行ることはなかったと思う。

親しみやすければ、みんなに広まる。みんなが知っているというのはある意味世間を生きていく中で重要なのだ。

他人と共通の話題を持つ事は案外難しい。趣味なんて大抵合わない。そういったときに多少の架け橋になるのがそういったダサいコンテンツなのだと思う。

そして世間にとってはミスチルはそれに当たるんだと思う。親しみやすくて、みんなが知っている。カラオケでも無難に歌える。

しかし、それはミスチルの真の姿ではない。
ミスチルとは阿修羅だ。幾多もの顔を持つ。ポップでありロックであり明るくて暗い。

でもそれこそが人間なのだと思う。

みんな明るい部分もあるし、暗い部分もある。雑に生きることもあるし、丁寧に他人に接する事もある。そういった多面性。普遍性。それこそがミスチルだと自分は思う。

だから「GIFT」や「くるみ」といった代表曲しか知らない人はミスチルを正しく認知できていない。損してる、とまでもは言わない。自分もいくつかの偏見を元に間違った認知をしているコンテンツなんて腐る程ある。

ただ知ってほしいだけなのだ。Mr.childrenというバンドを。

スケールの大きい事を言うとシラケるが、ミスチルほど人生を体現したバンドは存在しない。自分にとってはそうだ。確信を持って言える。

ライブに集まった人達はとても良い人そうな人ばかりだった。確証バイアスに侵された意見である事は否定しない。だが、真面目に生きてきた人間の闇というのは案外深い。それを受け止める度量がこのバンドにはある。


今回のツアーでも披露された曲。Worlds endにこんな歌詞がある。


「飲み込んで吐き出すだけの単純作業繰り返す
自動販売機みたいにこの街にボーッと突っ立って
そこにある事で誰かが特別喜ぶでもない
でも僕が放つ灯で君の足元を照らしてみせるよ」


泣いてしまった。冒頭で泣かなかった、と言ったがあれ嘘。心は号泣。そして、1万人の観客を前にしてこれを歌い上げる桜井和寿に驚嘆した。

自分は今、19歳。10年後、20年後。違った意味を持ってくると思う。そうなる前に自分の考えを記録しておく事は大事だと思う。

3000字を超えた。文章というのは難しい。伝えたい事の半分も書けない。でもニュアンスが伝わってくれたら嬉しい。


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以上です。

Radwimpsの新曲どうなのこれ

RADWIMPSが新アルバム発売に先駆けて収録曲「PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜」をYouTube上にアップしました。

PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~ RADWIMPS MV - YouTube

これなんですけど、どうですか。どうですか、というかこれは独り言みたいものなので閲覧者なんていないと思いますが。

今のところ、自分はなんだかなあと呆然としています。

この曲の歌詞はパパラッチに対する怒り、「文春砲」などを始めとした週間報道誌の在り方っていうかやり方が汚ねえぞって話で。

昨今の時代背景も踏まえた今らしいテーマだと思います。

しかし中盤以降の歌詞が引っかかる。『「君の名は」の大ヒット〜〜」と続くところ。

何言ってんだと。思いました。正直ね。

マスコミは汚いですよ。歌詞で書かれてある事も酷いなとは思います。でも別にここに書く事ではないだろ。自分の話、過ぎる。いや良いんですよ、自分の話するのは。ミスチルなんてずーっと自分の事ですからねあれ。でも問題はそこじゃなくて、エゴが過ぎると思うんですよね。

歌詞ってある程度抽象的じゃないといけないと思ってて。何故かって、やっぱり自分を重ねたいじゃないですか。自分を重ねる事で歌詞に奥行きが出るというか、自分のものになっていく気がするんですよね。だからネットに転がってる「難解な歌詞を解釈してみた」みたいなサイトに腹が立つ。てめえの解釈を押し付けてくるんじゃねえ。こっちはこっちで考えるから黙ってろ。って。まぁ見ないから良いんですけどね。

とにかくある程度ふんわりした表現にしないと、何言ってんだこいつって思ってしまう。直接的な表現が多くなってくると、共感が持てない。これって僕に限ったことじゃないと思うんです。

それを踏まえるとやっぱ「PAPARAZZI」はダメっすよ。だって具体的過ぎるもん。別にあんたの愚痴を聞きたいわけじゃないし。やりようはもっとあったはずなんですよね。現代風刺っぽく、婉曲した比喩を用いて書く事だって野田洋次郎は出来るはずなんですよ。でもこれってもう本当のただの愚痴って言うか、出来れば見たくない部分でしたね。

あとこのMVのコメント欄が絶賛で溢れてたのもビックリしました。賛否両論があって然るべき曲だと思いますけどね。まぁ人の感想なんで口挟むとこじゃないですね。すみません。でもコメント欄でマスコミ批判が盛り上がってるのみると、「野田洋次郎はこうなる事予想出来たはずだし、これが伝えたかった事なの…?」と思いました。

RADWIMPSは好きです。次のアルバムも聴きますよ。でもこの曲はリピートする事はないわ…

歌詞の話しかしてないけど曲は好きです。緊迫感のあるトラックで洋次郎の声もマッチしてますよね。歌詞はアレですが、聴いてて心地良い音。


あんまり言いたい事が書けなかったです。15分くらいでパッと書いたので内容も薄いですね。

独り言のつもりで書いてます。もし読んでくれた人がいれば何らかの反応いただけると有難いです。


以上です。


odol Live 感想 12/1

odolのライブに行った。

これが本当に良かった。ただそれだけを伝えたい。
なんというかLIVEの感想というより、odolというバンドが如何に良いかという話になっちゃうんですけど、誰も見ないだろうし書きたい事を書きます。


まずは一曲。アンコールにて披露されました。

https://youtu.be/DiXT1PbBZwU

odol/生活
良いですよね。歌詞からも題名の「生活」というワードからも伝わってくる素直さ。

バンドって売れる為にやるもんだと思うし、好きなバンドにはやっぱ売れて欲しい。けど「自分たちのやりたい音楽=売れる音楽」とはいかないのが現実なわけで。皆、その狭間で揺れながら、試行錯誤していった結果、奇を衒うような歌詞にしたり、分かりやすく消費される曲に終始してしまう。そんなことが多々あると思っています。

そんな中でこの曲は異彩を放っている。

歌詞を読んでほしい。


「手紙の中身に君なりの個性があって
並べたその文字に見惚れた
君の住む街に四月の花が咲いて
黒く染めた髪が舞う季節を数えた」


素晴らしい。歌詞とはこうあるべきだと思う。

椎名林檎やteto小池のように、強烈なワードセンスで圧倒するような歌詞も好きです。好きだけど、やはりこういった日本語独特の憂いを宿した歌詞も好き。この曲の歌詞はいくらでも解釈のしようがある。なんなら意味なんかよくわからなくても良いんです。少なくとも自分はそう思っています。メロディと共に歌になった時、意味のわからなかった歌詞が初めて意味を持つ。自分の中で。エゴスティックに。そんな歌詞の普遍性をミゾベリョウが紡ぐ言葉は持っている。あえて余白を残す事で聴き手に自由を与える。

さらにミゾベリョウはボーカリストとしても良い。高音だけど決して突き抜けるような感覚ではなく、もがき苦しむような曇った高音。物静かなMCも印象深かった。全てが作用してバンド全体に憂いを与える。良い意味での憂いを。

メンバーが6人と多いのに全く窮屈さを感じさせなかったのも見事だった。作曲を務める森山公稀のバランス感覚はどうなってる。絶対良い上司になる。ベースのソフィアンはビジュアルが最高で人気も出そうなのに、ひたすら端でベース弾いてたのも最高だった。マジで一言も喋ってないと思う。完璧に徹してた。ギターの二人もキーボード弾いたりドラム叩いたりと忙しそうだったし、本当器用だなこのバンド。

言いたい事もまだまだ沢山あるんですけど、書いてて改めて良いバンドだなと思いました。売れて欲しい。切実に。こういう音楽をみんなで批評できる世の中が来ればいいのに。そう願うばかりです。


と、まぁここまで書いても多分誰も読まない。誰か読んでくれたくれた人がいたら反応してくれたら嬉しいです。


書きたい事あったらまた書きます。書かせてください。


以上です。